HASHIGAKI

端書きです

My Hair is Badという惜春

そりゃあ元々行きたい気持ちは当たり前のようにあったわけだし、そんなの横浜アリーナで済ませてしまえばいいもので、定時で会社を出ても間に合わないだとか、休みが取れないだとか、今回のEPそうでもないとか、横浜アリーナで見るマイヘアは違うだとか、なんやかんやと理由を試着させてみては結局どれも似合わないまんまだった。知らない見てない聞いていないところで2日間の横浜公演が終わって夜が明けたとき、なぜだかわからないけれど、新潟で千秋楽を見届けなきゃいけない、ある種の義務感のようなものを感じていた。

社会には時代が変わる10連休が訪れる。時間ができれば外に出かける。外に出かければお金を使う。会いたい人もたくさんいる。せっかくの休みにカフェでのんびりしたいとも思うかもしれない。似合わなくても構わない。でも。それらのが全てできなくなるくらいひもじい思いをしても良いから、とにかく新潟に行く必要があった。そこに行かなければ何かに気づけないままになってしまうという気持ちだけだった。

ずっとずっと死ぬほど嫌いなのに離れられないでいるSNSを、現実世界に活用するのも今年に入ってからは慣れたもので、もしも欲しいチケットが当たらなくても、おんなじ趣味持ったおんなじ素敵な人が譲ってくれたりする。だから日曜日の朱鷺メッセに、木曜日に行きたいと思っても、行けるからなんやかんやでSNSは素晴らしいのかもしれない。いや、素晴らしすぎるだろうよ。ねぇ?

片手で数えるほどしか乗ったことのない新幹線に乗って初めて降り立つは新潟県新潟駅

知っているものなんてなにもない。知っている人なんて誰もいない。歩いたことのある道もないから、頼りになるのはローソンとドトールくらいしかない。それでもすれ違う女の子はみんな可愛いからきっと新潟県の女の子はかわいいんだと決めつける。まるでゴミの発想。

ライブという一瞬の煌めきを、どうにかして形に残そうと思うとどうしても欲しくなってしまうグッズ。2時間と少し並んで、こんなに並ぶなんて久しぶりだなぁなんて思いながら、彼等の人気を知る。たった200人か300人か。昨日になりたくてという1枚のミニアルバムを携えて東京で出会った彼らでは、もうそんな人達では、無いことを知る。

 


惜春とは、行く春を惜しむこと。また、過ぎ行く青春を惜しむこと。らしい。

My Hair is Badこそ、自分にとっての惜春なのだと思う。そのゾーンに入っている椎木を見ている時の自分、それもまた椎木なのだと思う。言い過ぎか。過去を投影したそれが人の形をして声を発しているのが椎木なのだと。言い過ぎか。

真赤は個人的に彼らを今の位置まで引っ張ってきた手綱のようなもので、今となってはその全てを簡単に吸い込むような化け物だと感じる。簡単に拳なんて突き上げてたまるか。ここで拳を突き上げることは、自分が犬みたいでいいなんて言われてるようで情けなくなる。それでも恋に落ちる春には逆らえない自分もいる。振り向いて欲しくて甘えてしまうのは、やっぱり格好つかない気がする。

彼等を見たのは武道館の2日目が最後で、その日もなんだか随分と遠くまで来てしまったもんだと、えらく感心したものだった。My Hair is Badと言えば、過去の君にいつまでもだらしなく縋って泣きついて、最終的には何にも解決しないような姿がまるで自分のようで、ほっとけなくて。それでもまるで腫れ物に触るかのように心当たりのある彼の言葉に触れてきたものだったが、今日そんな彼はどこにもいなかった。正確にはいたのだと思うけれど、椎木の目はあの日の君じゃなく、目の前で拳を振り上げる私達を確かに捉えていた。私達と彼の未来は、一体どうしたらよくなるものだろうかと、少しでもよくなるようにと力いっぱいに叫び続けているように感じた。

革命は起きない。期待しているような朝はこない。若者が主役になる未来はない。生ビールの泡は放っておけば放っておくほど弾けて少なくなっていくのだ。それでも明け続ける夜になにを望んだら幸せになれるのだろうか。居酒屋で食べたくもないのに頼むポテトフライは冷たくなって流し込みにくくなるだけだ。それでも幾千の照明に浮かび上がる彼らに、流れ続ける感情が止まらなかった。

昨日には戻れないし、すぐに明日には進めない。今しかない。今しかない。大切にできるのも忘れないでいられるのも、どうせ今しかない。変えられるものなんてなにもない。人の気持ちは変わっていくのに変えられないし代えられない。今も今さっきになったばっかりだし、そんな繰り返しの中で吸ったり吐いたりするだけしかない。

彼らが6月にリリースする新譜がフルアルバムであり、そのタイトルがboysであること。

もしかするとそれだけが、革命なのかもしれない。narimi。womans。mothers。そしてhadakaになった今、My Hair is Badは大革命期を迎えようとしているのかもしれない。聴かなきゃわからないけど、聴かないまま教えて欲しいこともないわけではない。

彼らの地元で観る彼らの姿は余りなく割り切っていて、今年もまた夏が過ぎていくことを感じた。変わってしまったことは数え切れないほどあるけれど、変わっていないことも数えるくらいは残ってくれている。収集がつけられないから、今はそれを優しさと呼びたいと思う。もう1度新潟で彼らを見たい。ただそれだけだとおもう。行きたいよりも行かなきゃの気持ちで行ってしまうことの方が大切な気もする。それだけ良いもの見れたから言えるのかもしれないけれど。ひと月後の給料日まで夜ご飯食べれないくらいの貧乏になっちゃったけれど。新幹線が高いのがいけない。高いけど速いけど高い。文句は数え切れないほどあるけど、マイヘア、やっぱり最強で最高だった。特大のホームラン。ランニングホームランじゃない。特大の場外ホームランを確かに見たよ。椎木ありがとう。マイヘア ありがとう。昨日までの自分ありがとう。