HASHIGAKI

端書きです

拝啓、aiko様

aikoが好きだ。

1年間かけてクラスメイトが1人ずつ自分の好きな曲を1曲かけていって、いろんな音楽を知ろうというのが中学校に入学してすぐの音楽の授業だった。そこで家からすぐ近所に住んでいたクラスメイトの女の子がかけたのが、aikoのスター。ずっと知っていたはずの女の子がすごく大人のように感じて、すぐにTSUTAYAに走った。当時、モテるのモの字もなかった僕は、aikoを聴いたら女の子の全てがわかるような気がした。カブトムシとかボーイフレンドとか音楽番組でよく流れるような数曲はうっすらと知っていたのだけれど、当時は、女の言うことは女にしかわからないと思っていたし、女性アーティストが歌うことは女にしかわからないと決めつけていた。でも、そんな自分でもaikoが歌っているのは女の子の気持ちだけじゃないということを感じることができた。むしろ今まで出会ったどんな女の子よりも、いちばん味方でいてくれるようにすら感じたし、中学1年生の男子にとって女の子の味方がいるというのは、どんなことよりも誇らしく、どんなことよりも心強いものだった。あっという間にaikoが”好きな人”になった。

 

中学校2年生になる頃には、将来の夢を聞かれたら「aikoと結婚すること」と答え続けてきた。初めて女の子と付き合ったときも、初めて別れた時も、初めて振られた時も、初めて告白されたときも、女の子が考えることでわからないことは全部aikoが教えてくれていると思っていた。というか教えてくれた。当時流行っていた携帯掲示板、いわゆる学校裏サイトでアホほどあることないこと書き込まれた時も、テレビで見るaikoは、ラジオで聴くaikoの声はいつも笑ってた。いつも明るいaikoにいつも救われてきた。本当に好きな女の子でしかなかった。

 

好きな女の子って話しかけられないじゃないですか。

だからって全然話は違うのかもしれないけれど、ファンクラブに入って会いに行こうとかできなくて、人生で初めて生で見たのは茅ヶ崎aikoが3年に1回開催するLove Like Aloha4だった。毎回8月30日に開催されていて、29日が誕生日の僕は、成人を迎えてすぐの日で、前の日喜んで友達とお酒を飲んで朝、初めての二日酔いを抱えたまま、始発で行ったんだけど案の定、厳しい暑さの前になすすべもなく体調を崩して、いちばん後ろからただ本物の声を聴きながら遠くで本当に小さなaikoを眺めていた。それから3年後のAlohaでも後ろからぼーっと眺めていた。中学生の時に好きになった人は、いくつになっても遠くにいたし、やっぱりあの時も笑っていたっけな。

 

昨年、成人してから6年が経った8月30日の茅ヶ崎で、aikoを目の前で見ることができた。とはいってもそれは、立っている位置だけの話で、花道に対して真横から見ていたのだけど、aikoがこちらを振り向いたときに僕は、ただただ見慣れたサザンビーチの砂浜を見ていた。目があってしまったら気が気でいられないと本気で思った。本当にどきどきした。中学生のときから好きな女の子がいよいよそこにいた。だから砂浜を眺めることくらいしかできることはなかった。aikoがずっと大切にしてきた、僕にとっても大切な曲たちは、申し訳ないけれど1曲も入ってこなくて、ただただ、ぼーっとしては、急いで砂浜を見て、を繰り返していた。異常気象といわれる連日の太陽が乾燥させた砂浜にすら笑われているような気がしたけれど、本当に幸せな時間だった。

 

これは本当にファンクラブに入ってしまったら、近くで見てしまったらいけないなと思った。そんな自分がなにかの導きで足を踏み入れたのが、さいたまスーパーアリーナLove Like Pop 21。LLPと称されるこのツアーは、aikoのツアーの代名詞と言っても全く過言でない大きなライブだと思っている。本当になにかの導きでしかないと考えていて、それもaikoの20年をお祝いできるようなこのタイミングで、現場にいられるということは、言うまでもなくなによりも尊いことで。aikoがファンを想って出してくれた整理券を握りしめてグッズを買ってからは、あじがとレディオでaikoの下着が新調された話とかをぼけーっと聞いたり、始まる前まで居酒屋にいたりした。全然ご飯食べれなくなってて、ただ少しずつ、少しずつ、あんまり美味しくない生ビールとやっぱり少しの他のお酒を飲んで時間が来るのを待っていた。いや、本当は待っていなかった。時間は過ぎたその瞬間から過去になっていくし、ただiPhoneの画面に映る静かに憎らしく過ぎていく時計を眺めてた。

 

さいたまスーパーアリーナの400レベルというまぁまぁ高めでそれなりに距離のあるところから見たaikoは、それでもaikoだった。正直aikoが一生懸命考えてくれた照明だとか演出だとか、どうでもよかった。だってそうでしょう?好きな女の子から作ってもらったらなんだって美味しいし、なんだって嬉しいし、そこに嘘なんて1ミリもないんだから。aikoがそこにいるということが、好きな人が目の前にいるということがなによりも素敵で、なによりも嬉しいことだから。でも本当は演出にも曲にもめちゃくちゃ感動した。声がした瞬間から、会場の照明がもう1度灯くそのときまで、もしかしたらそこにいなかったのかもしれない、と思うくらい、幻だった。ただ確かな記憶だけを置いていってくれて、どれだけ距離が遠くても目の前で笑顔で語りかけてくれるのが、僕がずっと好きな人で。とにかく最後まで走り続けていた。誰も置いていかないように、誰も置いていかないために、そうやって走り続ける彼女は本当に不思議な女の子だと思う。止まってくれない。こんな気持ちまでも。

そして、やっぱり彼女は笑っていた。ずっと笑っていた。終わってから思い出すのはいつだってこんな顔ばっかりなんだよなって、そんなこといくつのときに覚えたんだっけなんて考えてみたりもしたけど、どうでもいいじゃない今はそんなことって笑ってたように思えた。ばかみたいだ。気付いてみたら27回目の夏を迎えようとしている2月の10日にいた。

 

aikoと結婚したい」

今までそんなことを話すたび、かなりの人数に笑われたような気もするけれど、あんまり後悔はしていない。あの日の音楽の授業がなかったら、きっと13年経った今でも大して聴いてなかったかもしれないし、そばにいたのは別の人だったかもしれないけどそんなこと知りたいわけではない。永遠なんてないし、美しさは儚い。当たり前なんてないし、クラッカーも前田とは限らない。もしかしたらもう少し会いに行かなきゃいけない、大切にしなきゃいけない歳になってきているのかななんてことを思った。自分のことも、aikoのことも、もっと、もっと。aikoと同じようにやりたいことをしている今、そんな自分のことも少し好きになれた気がするから、やっぱりaikoのことが好きだ。また会いたい。ぜったい。