HASHIGAKI

端書きです

クリープハイプの下北沢、何者でもない圏外の天井

高校で軽音楽部に入部して音楽を始めた。子供の頃からとにかく飽き性で、野球もサッカーもバレーボールもやらせてもらったけど、周りについていけなくなって数回でやめてしまった。なんでも始めてはすぐにやめてしまう人生だった。それまでに続いたものと言えば祖母に言われてなんとなく始めた英会話教室くらいなものだった。それなのに音楽は触れれば触れるほどこの心臓をつかんで離さなかった。周りについていけなくなればなるほど、もっと練習した。少しは女の子にモテたいという気持ちもあったと思うけどそんなことは誰にも話さなかった。寝る時間と授業を受けている時間以外は寝食を忘れて弾き続けた。ライブハウスを知って音楽にズブズブに浸かったまま迎えた高3の夏、音楽でご飯を食べていきたいだなんて大それた気持ちは微塵もなかったけれど、こんな自分が音楽を続けることのもう少し先の景色を見たくなって、先輩バンドマンの勧めから大学に入学することを決めた。なにかになりたかったわけではなかったけれど、なにかになれる気がしていた。

 

何かを計算したり何かを実験したりすることは全然できなかったけど、可もなく不可もないくらいの成績で生きてきたが、大学に入学して勉強にはほとんどついていけなくなった。毎日90分ごとに刻まれるその区画にただぶら下がっていた。肝心の音楽も続いているような続いていないような状態で、大学生活とアルバイトの間を埋めるような存在になっていた。高校に入学するとき家族には卒業したら働けと言われていたのにそれを押し切ってここにいるのに、結局なににもなれない毎日がだらだらと流れていた。どうにもならなくなったときには決まって、当時大切に持ち歩いていたiPod touchを片手に喫煙所のベンチに1人寝転び、タバコを吸いながら音楽を聞いていた。当時仲の良かった女の子に教えてもらった「左耳」をきっかけに聴き始めたクリープハイプの「ごめんなさい」がイヤホンから毎日聴こえていた。誰にも届けない、誰にも届かない「ごめんなさい」だった。それでも見上げた青空は雲ひとつなく綺麗で、キャンパスのガラスに跳ねた日差しが眩しかった。こんなだらしない男のことなど見ないで欲しかった。家でギターを弾かなくなった時間は全て、「おやすみ泣き声、さよなら歌姫」の初回限定盤についてきたライブDVDを再生する時間に溶けていった。DVDの中のボーカル尾崎世界観と同じ服装や同じ髪型をしたりした。「キングスプレイス」というラジオのパーソナリティを尾崎世界観が務めていた夜には耳を傾けた。このラジオがきっかけて開催されたライブにも足を運んでは、もみくちゃにされながら「セックスしよう」と叫んだ。確かこの頃に尾崎世界観ツイッターをやめた。勉強でもアルバイトでも恋愛でも友達でも就職活動でも後悔した二日酔いの朝ですら、クリープハイプの音楽を聴いていた。今思えばあれは溶けていったのではなく、夢中になったことも夢中になれなかったことも全て無理矢理溶かしていたのだと思う。

 

2019年11月16日。クリープハイプが10周年を記念して東京は下北沢Queにてワンマンライブを開催した。そのキャパシティはおよそ280人。トイレの一角に死角こそあれど、どこに立っても目の前にステージが広がるいい空間だなと感じた。幸いにも2桁台の整理番号で早めに入場することができて、いちばんうしろの中央、壁を背に陣を取った。携帯は圏外でゲスト用のwi-fiのパスワードが掲載されていたけど、ライブハウスの暗がりと人影で上手に読めなかった。だけど今夜はそれでよかった。誰とも繋がれない状況を無意識の中に望んでいた。開演して「栞」が歌われたとき、てっきり"古いレア曲"のオンパレードなのかと予想していたものだから面食らった気もしたけれど、目の前に広がる手のひらの間に立つ尾崎世界観はそれを望んでいた。続けて演奏されたのは「愛の標識」だった。擦り切れることはないけれど、擦り切れるほど再生したDVDの1曲目だった。あれからの生活の中で"死ぬまで一生愛されてると思ってた"ことはあった。"君が居ない部屋に1人だった"ことを思って泣いた。続いた「イト」のこの手を引っ張るようなイントロでさらに泣いた。もう演奏している姿を見ることはできなかった。せっかく当たったのに随分もったいないような気もしたけれど、そうするしかなかった。「イノチミジカシコイセヨオトメ」で「生まれ変わってもクリープハイプになる」なんて台詞を口にした尾崎世界観を見て、周年の重さを感じた。小さなライブハウス特有の音の割れ方や、謙虚な照明、低い天井。いちばんうしろから見るライブの様子はまるで曲目こそ違えどあの日のDVDの中に入り込んだようだった。尾崎世界観は冬の合間に降る雨ほど少量の毒を吐いた。この声に、この毒にこの人生は何度も救われてきたのだと、何度も何度も自分のことを抱きしめるような温かくも淋しい気持ちになった。ジャニーズのライブではないけれど、ど真ん中の真後ろにいる自分と尾崎世界観の目が何度も合ったように思えたし、目が合っている、見られていると感じた瞬間はこちらも目を離さずに応えた。なにも伝わっちゃいないだろうけれど。前方で必死に手をあげて音楽を浴びに行く自分はこの日いなかった。代わりに楽しむおよそ20代前半の面々を見て、あの頃、自分もあの中にいたはずなのに、それからクリープハイプが周年を重ねた数と同じだけ歳を取っている自分と同じくらいの人がいてもおかしくないはずなのに、その姿に気付くことはなかった。あの日周りにいた人達はみんなどこかに行ってしまったのだと思った。そうか、自分だけ未だになににもなれていないんだと思って、また泣いた。

 

アンコールは無かった。こんな日のクリープハイプらしさを感じた。外に出て吸ったいつも通りのなんでもない空気が、これ以上のものはないと思えるほど美味しくて、もう今日このまま死んでも後悔がないと思った。こうして今日も生きてるけれど。バーカ、バーカ。

 

 

クリープハイプ

10周年記念ライブ

2019年11月16日下北沢Que

 

【セットリスト】

1.栞

2.愛の標識

3.イト

4.一生のお願い

5.さっきはごめんね、ありがとう

6.鬼

7.おばけでいいからはやくきて

8.NE-TAXI

9.けだものだもの

10.グレーマンのせいにする

11.ボーイズENDガールズ

12.クリープ

13.5%

14.新曲

15.イノチミジカシコイセヨオトメ

16.手と手

17.身も蓋もない水槽

18.HE IS MINE

19.左耳

20.二十九、三十

21.風に吹かれて